追 悼
伊藤久次郎元支部長を偲んで 13643 関口 興洋
令和7年4月6日(日)、午前9時半ごろ、伊藤さんの奥様から、伊藤さんが4月2日にご自宅で他界され葬儀も家族葬で執り行ったとのお知らせを頂いた。あまりにも突然なニュースで気が動転し、お悔やみの言葉に窮した。
昨年11月以来、入院生活が長引き体力が極度に衰え歩行困難になったとのことで心配していたが、昨今のコロナ、インフルエンザの影響下でお見舞いに行きたくても全く叶わず、最後のお別れも出来ず、誠に残念なことで痛恨の極みであります。
伊藤さんとは、北九州支部創立2年後(2002年9月)の総会で共に役員に選任され、それ以来、伊藤さんは広報担当として2002年10月発行の支部報「北九だより」8号から2012年7月の61号まで10年間、編集人として活躍された。2011年4月、支部長に就任、2016年5月、体調悪化により支部長を退任された。それまでの永い間、支部運営に情熱を燃やし注力してきました。全国の各支部が主管する全国支部懇談会、他支部の周年記念行事、上高地や高千穂のウェストン祭などの催事、さらに年次晩餐会など機会あるごとに一緒に出かけましたが、伊藤さんはいつもこまめにビデオ撮影を行い、その時々の貴重な記録を編集しDVDに収録した。その一部は本部の資料映像委員会や各支部の関係者にも配布された。外部の行事だけでなく、支部の行事にも積極的に参加し、貴重な映像を残されています。例えば園川永年会員が講師を務めた皿倉山での「山岳技術専科」の内容を的確にカメラに収めた成果がブルーレイビデオに収録され、シリーズとして12巻、制作された。これらのビデオは支部のルームに保管されていますので、今後、新人研修の場で頻繁に活用して頂きたい。それが伊藤さんに対する一番の供養です。
その他、伊藤さんのもう一つの特技は年季の入った木版画制作です。自称、棟方志功の孫弟子と称していましたが、現職(警察官)のころから精進し、その成果は九重の法華院温泉山荘の食堂に掲げられた「坊がつる讃歌」の版画を見れば一目瞭然である。
2年前には田川美術館の公募展で展示された作品に対し、福岡県知事賞が授与されたと聞いています。支部長退任後、ルームで版画教室を主宰し、支部の希望者や一般の希望者を相手に精魂を傾け指導していた。数年前から、受講者の腕もあがり毎年、外部の喫茶画廊を借りて、展示会を開くまでに成長したことは、公益社団法人の文化活動としても評価される価値があると思います。
2005年の日本山岳会創立100周年の記念事業として発案された、北は北海道の宗谷岬から南は鹿児島県の佐多岬までの「中央分水嶺踏査」が2004年から開始された。北九州支部の担当は山口県と島根県境の仏峠より平尾台の吹上峠まで220kmである。2004年4月11日、仏峠をスタートし2005年5月8日、吹上峠で完結した。踏査に要したネットの日数は60日に及んだ。北九州支部が担当した分水嶺は大部分、山口県に属しており北九州支部にとってほぼ未知の世界であった。踏査の貴重な記録は「踏みあと」に収められているが、編集長として複雑な編集作業を統括したのが伊藤さん(当時、副支部長)であった。改めて、伊藤さんのご苦労に対し感謝とお礼を申し上げます。
伊藤さんの役員在任中、もっとも重大で悲しい出来事が韓国で発生した。支部創立10周年の記念事業として企画されたのが、韓国の智異山(1915m)登山である。2010年5月15日、支部メンバー9人、ガイド4人(日本人1人、韓
国人3人)で出発。午前10時10分ごろ、標高1300m付近を登山中、伊藤さんと関口との間にいた室津健次さんが無言のまま、突然、右側に倒れたのである。韓国のガイドが直ちに現地警察に通報し警察のヘリで晋州市の慶尚大学病院へ搬送されたが帰らぬ人となった。
今回の事故は、崖から転落したとかであれば因果関係が判然としているが、通常の登山道で発生した死亡事故であり、因果関係が判然としない。これが問題点であった。大学病院の医師も死因の確認が出来ず、病院で待機していた警察官は不審な死亡事故として、本人と一番近い位置にいた伊藤、関口の二人が警察の事情聴取を受けることになった。韓国のガイド兼通訳を介しての尋問であるから時間がかかるのはやむを得ない。当方より室津さんは元来、心臓が悪いとのことであり、今回の死亡は心臓マヒによるとしか考えられないと説明したが納得しない。警察の尋問は同じ内容で3回ほど繰り返し、矛盾点がないかチェックする。
こちらも同じように返事をするが空腹も加わって、早く解放して欲しいという気持ちが強くなる。ここで伊藤さんの職歴が輝いてくる。日本での対応も同じようなものであるから、決して短気を起こしてはダメと助言を受けた。3時間ほどの尋問が終わると、室津さんとのご対面となる。一人しか入室できないので伊藤さんが代表として対面場に向かう。警察官が室津さんの着衣をナイフで切り裂くと、ニトログリセリンの入ったロケットが現れた。これで我々の説明がようやく受け入れられ、無事解放された。宿へ戻ったのは午後8時を過ぎていた。伊藤さん、ご指導ありがとうございました。
お酒が大好きだった久さんの洒落を引用し、お別れのご挨拶といたします。
「秋の夜、酒は静に飲むべかりけり。僕酔」
伊藤Q(享年85歳) 合 掌